寝食足りて
「寝食足りて、礼節を知る。」とも言います。食べることや寝る場所に不安がある状態で、礼儀正しく過ごすのは、難しいかもしれないというのは、失業者としての不安な日を過ごした経験があると、身につまされます。さすがにこの期間、新しい服を買ったり、雑貨やインテリアの用品を買う気にはなれませんでした。
美はただの無駄か?
マルクス主義は、美しいものや芸術は、ブルジョアのもので敵だといった表現をしているように昔読んだ記憶があります。ずいぶん昔のことで、間違っているかもしれませんけども。しかし、美しいものを否定するとなると、今の日本人の大半はブルジョアで、戦うべき敵ということになってしまうよなぁ。ちょっと、難しすぎる話ですね。。
でも、確かに、生活がひっ迫し、食べることができるかどうかという時に、ブランドも何もあったもんじゃないとは思います。美しさも何もないでしょう。芥川龍之介の羅生門を数十年ぶりに再読して考え込みます。ギリギリのドン底で、自分がどうするか、キレイゴトを言えないであろうことも認めざるを得ません。
そこまでしなくても
それでも、今、日本で生活する私たちが、それほど、切羽詰まった逼迫したギリギリでないことも事実だと思います。坊さんのような修行生活が必要なわけじゃないでしょう。
羅生門のように、浅草の雷門が荒廃しているわけじゃありません。毎日、誰かが路上で死に続けているわけでもありません、景気の問題やエネルギーの問題が、解決をや方針の決定を急ぐべきことですし、昔のバブルや高度経済成長のようなことを夢見ても、仕方ないことのように思います
贅沢、浪費と心の豊かさ
贅沢や浪費と、心の豊かさを求めるために身の周りを整えることは、ややニュアンスが違うと思います。美しいものを求めるという部分では似ているところもあるのですが、立ち位置が違うとは感じます。
残念なことに、ここを明確に言葉で表現できないのには、力不足を感じます。まだまだ勉強する必要がありそうです。